2013年5月9日木曜日

Friedrich Schiller シラー Don Carlos スペイン王太子

今日は  Don Carlos で スペイン愛好家にも 有名なドイツのシラーの忌日です。

ドイツが生んだ世界的な詩人、歴史学者、劇作家、思想家の ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー Johann Christoph Friedrich von Schiller (1759年11月10日 - 1805年5月9日)は、ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe と並ぶドイツ古典主義(Weimarer Klassik)の代表者です(初期の劇作品群はシュトゥルム・ウント・ドラング期に分類されます)。独自の哲学と美学に裏打ちされた理想主義、英雄主義、そして自由を求める不屈の精神が、シラーの作品の根底に流れるテーマではないか、と Ernesto Mr. T には思えます。青年時代には肉体的自由を、晩年には精神的自由をテーマとしました。シラーの求めた「自由」はドイツ国民の精神生活に大きな影響を与えたと云われています。

Johann Christoph Friedrich Schiller, desde 1802 von Schiller (Marbach am Neckar, 10 de noviembre de 1759 – Weimar, 9 de mayo de 1805), fue un poeta, dramaturgo, filósofo e historiador alemán. Se le considera junto a Goethe el dramaturgo más importante de Alemania, así como una de las figuras centrales del clasicismo de Weimar. Muchas de sus obras de teatro pertenecen al repertorio habitual del teatro en alemán. Sus baladas se cuentan entre los poemas más famosos.



最初にも書きましたが、hispanófilo にとって Friedrich Schiller シラー と言えば Don Carlos でしょう。


『ドン・カルロス』の初版は1787年6月、ライプツィヒのゲッシェン社から出版されました。この戯曲制作のための参考資料として最も役に立ったのは、フランス人アッベ・ド・サン・レアル(Abbé de Saint-Réal César Vichard, 1643–1692)の『ドン・カルロス』(1672)と題した史実と作り話を自由にとりまぜた著作でした。このスペイン王室の恋愛悲劇を扱った作品は、1783年にはじめて制作に着手したときは散文でしたが、1785年発行の演劇雑誌『ターリア』に一部を掲載したのち、結局、最後には著者の新しい世界観を顕わす韻文の5幕ものとして完成しました。この作品はシラーの古典主義への転向を示す極めて重要なものです。

『ドン・カルロス』は、王家の人間というしがらみやフェリペ王の強権の中、自らの信じた道を突き進むカルロス王子の葛藤と恋物語、友情物語を描いています。ドン・カルロスは、自由奔放さから異端児に見られ、悩みながらも自らの信じる道を見つけ、貫こうとしました。

愛・友情・孤独・嫉妬・謀略・自由・信仰。

見所はカルロスの物語だけではありません。自分の身を危険に晒してまで臣下として友として、カルロスのために策略を巡らすポーサは、作中最も心打たれる人物かもしれません。

もう一人の主人公はフェリペ王です。絶対君主であるが故の孤独、家臣への不信、嫉妬と過ちを、シラーはドラマティックに描いています。
 恋物語の中心にいる清らかな精神の持ち主であるエリザベート王妃。この三角関係に更に絡んでくるエボリ公女。カルロスやポーサを陥れようという、王の側近アルバ公やレルマ伯、ドミンゴ司教。登場人物たちが、複雑に、濃密に絡む、傑作であります。





岩波文庫版「ドンカルロス」 Il quaderno d'Estate/ウェブリブログ




本当のドン・カルロスは、ドン・カルロス・デ・アウストリア(Don Carlos de Austria, 1545年7月8日 - 1568年7月24日)と言い、スペインの王太子、アストゥリアス公でした。父はスペイン王フェリペ2世、母はポルトガル王女マリア・マヌエラでその長男でした。フェリペ3世の異母兄にあたります。

なお、スペイン・ハプスブルク家がドイツ南部を発祥とすることから、ドイツ語でカール・フォン・アストゥリエン(Karl von Asturien)と表記されることもあります。

当時のボヘミア大使の手紙によると「カルロスは肩の高さが違い、右足が左足より長く、頭が大きすぎる。胸はくぼみ、背中に瘤がある。まるで子供のように愚かしい質問ばかりする。高尚なことに興味を示したことはなく、食べることにしか感心がない。際限なく食べ続けているので、よくいろいろな病気にかかり、顔色はひどく悪く、長生きはできないだろう」とのことでした。

父に反逆してネーデルランドに行こうとして逮捕監禁され、24歳で牢死しました。


フランス国王アンリ2世の娘エリザベート・ド・バロワと婚約していたが、父王フェリペ2世がエリザベートを3人目の王妃としました。カルロスの死の数ヶ月後に、エリザベートは亡くなっています。

八十年戦争中のネーデルラントへの逃亡など、歴史的には実証されていませんが、シラーの戯曲やベルディのオペラ『ドン・カルロ』で、エリザベートへの悲恋というフィクションが作り上げられ、悲劇的人物として知られています。



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