ストリンドベリと表記されますが、原語スウェーデン語の発音は Ernesto Mr. T の耳には ストリンドバリと聞こえます。
Johan August Strindberg (Estocolmo, 22 de enero de 1849 – ibídem, 14 de mayo de 1912) fue un escritor y dramaturgo sueco. Considerado como uno de los escritores más importantes de Suecia y reconocido en el mundo, principalmente, por sus obras de teatro; se le considera el renovador del teatro sueco y precursor o antecedente del teatro de la crueldad y teatro del absurdo. Su carrera literaria comienza a los veinte años de edad y su extensa y polifacética producción ha sido recogida en más de setenta volúmenes que incluyen todos los géneros literarios. También se interesó por la fotografía y la pintura y en una etapa de su vida le obsesionó la alquimia. De personalidad esquizofrénica, durante la mayor parte de su vida se sintió acosado y perseguido. Esta peculiaridad dotó a su obra de una especial fuerza y dramatismo. Sintiéndose atacado y perseguido por el movimiento feminista, su feminismo de juventud pronto se transformó en misoginia. Strindberg estuvo casado con tres mujeres (Siri von Essen, Frida Uhl y Harriet Bosse, en orden cronológico) y tuvo hijos con todas ellas — fueron tres experiencias matrimoniales desastrosas. Protagonizó fuertes polémicas éticas y políticas. A su muerte fue reconocido como una persona notable en Suecia, asistiendo a su entierro más de 50.000 personas.
次は有島武郎訳の「真夏の夢」(有島武郎は ストリンドベルヒ としています。日本人は斯様に外語の発音及び表記に苦しんできたのであります。)です。
北の国も真夏のころは花よめのようなよそおいをこらして、大地は喜びに満ち、小川は走り、牧場の花はまっすぐに延び、小鳥は歌いさえずります。その時一羽の鳩が森のおくから飛んで来て、寝ついたなりで日をくらす九十に余るおばあさんの家の窓近く羽を休めました。
物の二十年も臥せったなりのこのおばあさんは、二人のむすこが耕すささやかな畑地のほかに、窓越しに見るものはありませなんだが、おばあさんの窓のガラスは、にじのようなさまざまな色のをはめてあったから、そこからのぞく人間も世間も、普通のものとは異なっていました。まくらの上でちょっと頭さえ動かせば、目に見える景色が赤、黄、緑、青、鳩羽というように変わりました。冬になって木々のこずえが、銀色の葉でも連ねたように霜で包まれますと、おばあさんはまくらの上で、ちょっと身動きしたばかりでそれを緑にしました。実際は灰色でも野は緑に空は蒼く、世の中はもう夏のとおりでした。おばあさんはこんなふうで、魔術でも使える気でいるとたいくつをしませんでした。そればかりではありません。この窓ガラスにはもう一つ変わった所があって、ガラスのきざみ具合で見るものを大きくも小さくもする事ができるようになっておりました。だからもし大きなむすこが腹をたてて帰って来て、庭先でどなりでもするような事があると、おばあさんは以前のような、小さい、言う事をきく子どもにしようと思っただけで、即座にちっぽけに見る事もできましたし、孫たちがよちよち歩きで庭に出て来るのを見るにつけ、そのおい先を考えると、ワン、ツー、スリー、拡大のガラスからのぞきさえすれば、見るまに背
の高い、育ち上がったみごとな大男になってしまいました。
こんなおもしろい窓ではありますが、夏が来るとおばあさんはその窓をあけ放させました。いかな窓でも夏の景色ほどな景色は見せてくれませんから。さて夏 の中でもすぐれた美しい聖ヨハネ祭に、そのおばあさんが畑と牧場とを見わたしていますと、ひょっくり鳩が歌い始めました。声も美しくエス・キリスト、さて は天国の歓喜をほめたたえて、重荷に苦しむものや、浮き世のつらさの限りをなめたものは、残らず来いとよび立てました。
おばあさんはそれを聞きましたが、その日はこの世も天国ほどに美しくって、これ以上のものをほしいとも思いませんでしたから、礼を言って断わってしまいました。
で鳩は今度は牧場を飛び越して、ある百姓がしきりと井戸を掘っている山の中の森に来ました。その百姓は深い所にはいって、頭の上に六尺も土のある様子はまるで墓のあなの底にでもいるようでした。
あなの中にいて、大空も海も牧場も見ないこんな人こそは、きっと天国に行きたいにちがいないと思いましたから、鳩は木の枝の上で天国の歓喜を鳩らしく歌い始めました。
ところが百姓は、
「いやです。私はまず井戸を掘らんければなりません。でないと夏分のお客さんは水にこまるし、あのかわいそうな奥さんと子ども衆もいなくなってしまいますからね」
と言いました。
で鳩は今度は海岸に飛んで行きました。そこではさきほどの百姓の兄弟にあたる人が引
き網をしていました。鳩は蘆の中にとまって歌いました。
その男も言いますには、
「いやです。私は何より先に家で食うだけのものを作らねばなりません。でないと子どもらがひもじいって泣きます。あとの事、あとの事。まだ天国の事なんか考えずともよろしい。死ぬ前には生きるという事があるんだから」
で鳩はまた百姓の言ったかわいそうな奥さんが夏を過ごしている、大きないなかの住宅にとんで行きました。その時奥さんは縁側に出て手ミシンで縫物をしていました。顔は百合の花のような血の気のない顔、頭の毛は喪のベールのような黒い髪、しかして罌粟のような赤い毛の帽子をかぶっていました。奥さんは聖ヨハネの祭日にむすめに着せようとして、美しい前掛けを縫っていました。むすめはお母さんの足もとの床の上にすわって、布切れの端を切りこまざいて遊んでいました。
「なぜパパは帰っていらっしゃらないの」
とその小さい子がたずねます。
これこそはそのわかいおかあさんにはいちばんつらい問いであるので、答えることができませんかった。おとうさんはおかあさんよりもっと深い悲しみを持って、今は遠い外国に行っているのでした。
ミシンはすこし損じてはいますが、それでも縫い進みました。――人の心臓であったら出血のために動かなくなってしまうほどたくさん針が布をさし通して、一縫いごとに糸をしめてゆきます――不思議な。
「ママ今日私は村に行って太陽が見たい、ここは暗いんですもの」
とその小さな子が申しました。
「昼過ぎになったら、太陽を拝みにつれて行ってあげますからね」
そう言えばここは、この島の海岸の高いがけの間にあって暗い所でした。おまけに住宅は松の木陰になっていて、海さえ見えぬほどふさがっていました。
「それからたくさんおもちゃを買ってちょうだいなママ」
「でもたくさん買うだけのお金がないんですもの」
とおかあさんは言いながらひときわあわれにうなだれました。昔は有り余った財産も今はなけなしになっているのです。
でも子どもが情けなさそうな顔つきになると、おかあさんはその子をひざに抱き上げました。
「さあ私の頸をお抱き」
子どもはそのとおりにしました。
「ママをキスしてちょうだい」
しかして小鳥のように半分開いたこの子の口からキスを一つもらいました。しかしてヒヤシンスのように青いこの子の目で見やられると、母の美しい顔は、子どもと同じな心置きのない無邪気さに返って、まるで太陽の下に置かれた幼児のように見えました。
「ここで私は天国の事などは歌うまい。しかしできるなら何かこの二人の役にたちたいものだ」
と鳩は思いました。
しかして鳩は、この奥さんがこれから用足しに行く「日の村」へと飛んで行きました。
そのうちに午後になりましたから、このかわいい奥さんは腕に手かごをかけて、子どもの手を引いて出かける用意をしました。奥さんはまだ一度もその村に行った事はありませんが、島の向こう側で日の落ちる方にあるという事は知っていました。またそこに行く途中には柵で囲まれた六つの農場と、六つの門とがあるという事を、百姓から聞かされていました。
でいよいよ出かけました。
やがて二人は石ころや木株のある険しい坂道にかかりましたので、おかあさんは子どもを抱きましたが、なかなか重い事でした。
この子どもの左足はたいへん弱くって、うっかりすると曲がってしまいそうだから、ひどく使わぬようにしなければならぬと、お医者の言った事があるのでした。
わかいおかあさんはこの大事な重荷のために息を切って、森の中は暑いものだから、汗
の玉が顔から流れ下りました。
「のどがかわきました、ママ」
とおさないむすめは泣きつくのでした。
「いい子だからこらえられるだけこらえてごらんなさい。あちらに着きさえすれば水をあげますからね」
とおかあさんは言いながら、赤ん坊のようなかわいたその子の口をすうてやりますと、子どもはかわきもわすれてほおえみました。
でも日は照り切って、森の中の空気はそよともしません。
「さあおりてすこし歩いてみるんですよ」
と言いながらおかあさんはむすめをおろしました。
「もうくたびれてしまったんですもの」
子どもは泣く泣くすわりこんでしまいます。
ところでそこにきれいなきれいな赤薔薇の色をした小さい花がさいて巴旦杏のようなにおいをさせていました。子どもはこれまでそんな小さな花を見た事がなかったものですから、またにこにことほおえみましたので、それに力を得て、おかあさんは子どもを抱き上げて、さらに行く手を急ぎました。
そのうちに第一の門に来ました。二人はそこを通って跡にかきがねをかけておきました。
するとどこかで馬のいななくような声が聞こえたと思うと、放れ馬が行く手に走り出て道のまん中にたちふさがって鳴きました。その鳴き声に応ずる声がまた森の四方にひびきわたって、大地はゆるぎ、枝はふるい、石は飛びました。しかして途方にくれた母子二人は二十匹にも余る野馬の群れに囲まれてしまいました。
子どもは顔をおかあさんの胸にうずめて、心配で胸の動悸は小時計のようにうちました。
「私こわい」
と小さな声で言います。
「天に在します神様――お助けください」
とおかあさんはいのりました。
と黒鳥の歌が松の木の間で聞こえるとともに馬どもはてんでんばらばらにどこかに行ってしまって、あたりは元の静けさにかえりました。
そこで二人は第二の門を通ってまたかきがねをかけました。
その先には作物を作らずに休ませておく畑があって、森の中よりもずっと熱い日がさしていました。灰色の土塊が長く幾畦にもなっているかと思うと、急にそれが動きだしたので、よく見ると羊の群れの背が見えていたのでした。
羊、その中にも小羊はおとなしいけものですが、雄羊はいじめもしないのにむやみに人にかかるいたずらをするやつで、うっかりはしていられません。ところがその雄羊が一匹
小溝を飛び越えて道のまん中にやって来ました。しかして頭を下げたなりであとしざりをします。
「私こわいママ」
と胸をどきつかせながらむすめが申します。
「めぐみ深い在天の神様、私どもをお助けください」
と言って天の一方を見上げながらおかあさんがいのりますと、そこに蝶のような羽ばたきをさせながら、小さな雲雀がおりていました。そしてそれが歌をうたいますと、雄羊は例の灰色の土塊の中にすがたをかくしてしまいました。
そこで今度は第三の門に来ましたが、ここはじゅくじゅくの湿地ですから、うっかりすると足が滅入りこみます。所々の草むらは綿の木の白い花でかざった壁のようにも思われます。なにしろどろの中に落ちこまないようにまっすぐに歩かなければなりませんでし た。おまけにここには、子どもたちがうっかりすると取ってしかられる、毒のある黒木いちごがはえていました。むすめは情けなさそうにそれを見ました。まだ この子は毒とはなんのことだか知りませんでしたから。
なお歩いて行きますと、木の間から何か白いものがやって来るのに気がつきました。見るうちに太陽はかくれて、白霧があたりを取りまきました。いかにも気味がよくありません。
するうちにその霧の中から、ねじ曲がった二本の角のある頭が出て、それがほえると、続いてたくさんの頭が現われ出て、だんだん近づいて来ました。
「こわうござんす、ママ、ほんとうにこわい」
と子どもが申します。
「偉大なめぐみ深い神様、私どもにあわれみを垂れさせたまえ」
とおかあさんは道のわきに行って、草むらと草むらとの間の沼の中へ身を伏せて心の底からいのりました。
その時ひびきを立てて、海から大風が来て森の中をふきぬけました。この大きな神風にあっては森の中の木という木はみななびき伏しました。その中で一本のわかい松も幹をたわめて、寄るべないこのおかあさんの耳に木のこずえが何かささやきました。しかしておかあさんがむすめを抱かないほうの手を延ばしてその枝をつかむと、松はみずから立ちなおって、うれいにしずむおかあさんを沢の中から救い上げてくれました。
その時霧はふきはらわれて、太陽はまた照り始めました。しかして二人は第四の門に近づきました。途中で帽子を落として来たおかあさんは、髪の毛で子ども の涙をぬぐってやりますと、子どもはうれしげにほおえみました。そのほおえみがまたあわれなおかあさんの心をなぐさめて、今までの苦しみをわすれて第五の 門に着くほどの力が出てきました。ここまで来るともう気が確かになりました。なぜというと、向こうには赤い屋根と旗が見えますし、道の両側には白あじさいと野薔薇が恋でもしているように二つずつならんで植わっていましたから。
むすめもひとりで歩けました。しかして手かごいっぱいに花を摘み入れました。聖ヨハネ祭の夜宮には人形のリザが、その花の中でいい夢を見てねむるんです。
こんなふうにおもしろく、二人は苦労もわすれて歩きました。もう赤楊[はんのき]の林さえぬければ、「日の村」へ着くはずでした。やがて二人は丘を登って右に曲がろうとすると、そこにまた雄牛が一匹立っているのに出会いました。
にげる事もかないません。くずおれておかあさんはひざをつき、子どもをねかしてその上を守るように自分の頭を垂れますと、長い毛が黒いベールのように垂れ下がりました。
しかして両手をさし出してだまったなりでいのりました。子どもの額からは苦悶の汗が血のしたたりのように土の上に落ちました。
「神様、私の命をおめしになるとも、この子の命だけはお助けください」
といのると、頭の上で羽ばたきの音がしますから、見上げると、白鳩が村の方に飛んで行って雄牛のすがたはもうありませんでした。
おかあさんが子どもをさがしますと、道のそばで苺を摘んでおりました。しかしておかあさんはその苺をだれがそこにはやしてくださったかをうなずきました。
しかしてとうとう二人は六番めの門をくぐって町の中をさまよい歩きました。
その町というのは、大きな菩提樹や楓の木のしげった下を流れる、緑の堤の小川の岸にありました。しかして丘の上には赤い鐘楼のある白い寺だの、ライラックのさきそろった寺領の庭だの、ジャスミンの花にうもれた郵便局だの、大槲樹[おおかしわのき]の後ろにある園丁[にわつくり]の家だのがあって、見るものことごとくはなやかです。そよ風になびく旗、河岸や橋につながれた小舟、今日こそ聖ヨハネの祭日だという事が察せられます。
ところがそこには人の子一人おりません。二人はまず店に買い物に行って、そこでむすめは何か飲むつもりでしたが、店はみんなしまっていました。
「ママのどがかわきますよ」
二人は郵便局に行きました。そこもしまっています。
「ママお腹がすきました」
おかあさんはだまったままでした。子どもはなぜ日曜でもないのに店がしまって、そこいらに人がいないのかわかりませんでした。むすめは園丁[にわつくり]の所に行ってみましたが、そこもしまっていて、大きな犬が門の所に寝ころんでいるばかりでした。
「ママくたびれました」
「私もですよ、どこかで水を飲みましょうね」
で二人は家ごとをおとずれてみましたが、いずれもしめてありました。子どもはこの上歩く事はできません、足はつかれてびっこをひいていました。おかあさ んはむすめの美しいからだが横に曲がったのを見ると、もうたまらないで、道のそばにすわって子どもを抱き取りました。子どもはすぐ寝入ってしまいました。
その時鳩がライラックに来てとまって天国の歓喜と絶えせぬこの世の苦しみ悲しみを声美しく歌いました。
おかあさんはねむった子どものあお向いた顔を見おろしました。顔のまわりの白いレースがちょうど白百合の花びらのようでした。それを見るとおかあさんは天国を胸に抱いてるように思いました。
ふと子どもは目をさまして水を求めました。
おかあさんはだまっているほかありませんでした。
子どもは泣きだして、
「お家に帰りましょう」
と申します。
「あのおそろしい旅をもう一度ですか。とてもとても。私は海の中にはいるほうがまだましだと思う」
とおかあさんは答えましたが、
やはり子どもは、
「お家に行きたい」
と言い張りました。
おかあさんは立ち上がりました。
見るとかなたの丘の後ろにわかい赤楊[はんのき]の林がありましたが、よく見ているとそれがしきりに動きます。それでおかあさんは、すぐそこには人が集まって、聖ヨハネ祭の草屋を作るために、その葉を採っているのだと気がつきました。しかしてそこには水があると見こみをつけてそっちに行ってみました。
途中には生けがきに取りめぐらされて白い門のある小さな住居のあるのを見ましたが、戸は開いたままになって快く二人のはいるに任せてありました。おかあさんは門をはいって、芍薬と耘斗葉[おまき]の園に行きました。見ると窓にはみんなカーテンが引いてありまして、しかもそれがことごとく白い色でした。ただ一つの屋根窓だけが開いていて、二つの棕櫚の葉の間から白い手が見えて、小さなハンケチを別れをおしんでふるかのようにふっていました。
おかあさんはまた入り口の階段を上ってみますと、はえしげった草の中に桃金嬢[てんにんか]と白薔薇との花輪が置いてありましたが、花よめの持つのにしては大き過ぎて見えました。
それから露縁に上って案内をこうてみました。
答える人はありませんので住居の中にはいって行きました。床の上に薔薇にうめられて、銀の足を持って黒綾の棺が置いてありました。しかしてその棺の中には、頭に婚礼のかんむりを着けたわかいむすめがねかしてありました。
その室のかべというのは新しい荒けずりの松板でヴァニスをかけただけですから、節がよく見えていました。黒ずんだ枝の切り去られたなごりのたまご形の節の数々は目の玉のように思いなされました。
この奇怪な壁のすがたにはじめて目をとめたものはむすめでした。
「まあたくさんな目が」
とそう言いだしました。
なるほどいろいろな目がありました。大きくって親切らしいまじめな目や、小さくかがやくあいきょうのある子どもの目や、白目の多過ぎるおこったらしい目 や、心の中まで見ぬきそうなすきのない目などがありました。またそこに死んでいるむすめをなつかしそうに打ち見やる、大きなやさしい母らしい目もありまし て、その眼中にはすき通るような松やにの涙が宿って、夕日の光をうけて金剛石のようにきらきら光っていました。
「そこにいるお嬢さんはねむっていらっしゃるの」
と子どもははじめて死骸に気がついて、おかあさんにたずねました。
「そうです、ねむっていらっしゃるんです」
「花よめさんでしょうか、ママ」
「そうです花よめさんです」
よく見るとおかあさんはそのむすめを見知っているのでした。そのむすめは真夏のころ帰って来るあの船乗りの花よめとなるはずでしたが、その船乗りが秋にならなければ帰れないという手紙をよこしたので、落胆してしまったのでした。木の葉が落ちつくして、こがらしのふき始める秋まで待つ事はたえ切れなかったのです。
おかあさんは鳩の歌に耳をかたむけて、その言うことばがよくわかっていたのですから、この屋敷を出て行くにつけても行く先が知れていました。
重い手かごを門の外に置いて、子どもを抱き上げて、自分と海岸との間に横たわる広野をさしておかあさんは歩きだしました。その野は花の海で、花粉のためにさまざまな色にそまったおかあさんの白い裳[もすそ]のまわりで、花どもが細々とささやきかわしていました。蜂鳥や、蜂や、胡蝶が翅[つばさ]をあげて歌いながら、綾のような大きな金色の雲となって二人の前を走って歩きました。おかあさんは歩みも軽く海岸の方に進んで行きました。
川の中には白い帆艇が帆をいっぱいに張って、埠頭を目がけて走って来ましたが、舵
の座にはだれもおりませんでした。おかあさんは花と花のにおいにひたりながら進みますから、その裳は花床よりもなおきれいな色になりました。
おかあさんは海岸の柳の木陰に足をとめましたが、その柳の幹と枝とにはさまった巣が、風のまにまに柳がなびくにつれて、ゆれ動いて小鳥らを夢にさそいます。むすめはその小鳥らをなでてやりたがりました。
「いえ、鳥の巣にはふれるものではありません」
とおかあさんは言いました。
こうして二人が海岸の石原の上に立っていると、一艘の舟がすぐ足もとに来て着きましたが、中には一人も乗り手がありませんでした。
でおかあさまは子どもを連れてそれに乗りました。船はすぐ方向をかえて、そこをはなれてしまいました。
墓場のそばを帆走って行く時、すべての鐘は鳴りましたが、それはすこしも悲しげにはひびきませんでした。
船がだんだん遠ざかってフョールドに来てみますと、そこからは太洋の波が見えました。
むすめはかくまで海がおだやかで青いのに大喜びをしましたが、よく見ると二人の帆走っているのは海原ではなくって美しくさきそろった矢車草の花の中でした。むすめは手をのばしてそれを摘み取りました。
花は起きたり臥したりしてさざなみのように舷に音をたてました。しばらくすると二人はまた白い霧に包まれました上にほんとうの波の声さえ聞こえてきました。しかし霧の上では雲雀が高くさえずっていました。
「どうして雲雀は海の上なんぞで鳴くんでしょう」
と子どもが聞きました。
「海があんまり緑ですから、雲雀は野原だと思っているんでしょう」
とおかあさんは説き明かしました。
とたちまち霧は消えてしまって、空は紺青に澄みわたって、その中を雲雀がかけていました。遠い遠い所に木のしげった島が見えます。白砂の上を人々が手を取り合って行きかいしております。祭壇から火の立ち登る柱廊下の上にそびえた黄金の円屋根に夕ぐれの光が反映[うつ]って、島の空高く薔薇色と藍緑色とのにじがかかっていました。
「あれはなんですか、ママ」
おかあさんはなんと答えていいか知りませんでした。
「あれが鳩の歌った天国ですか、いったい天国とはなんでしょう、ママ」
「そこはね、みんながおたがいに友だちになって、悲しい事も争闘[あらそい]もしない所です」
「私はそこに行きたいなあ」
と子どもが言いました。
「私もですよ」
と憂さ辛さに浮き世をはかなんださびしいおかあさんも言いました。
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