Alain-René Lesage (Sarzeau en Morbihan, Bretaña, 8 de mayo de 1668 - Boulogne-sur-Mer, 17 de noviembre de 1747), novelista y dramaturgo francés.
Estudió leyes y figuró en el Colegio de Abogados parisino desde 1692, pero decidió consagrarse al teatro. En este campo alcanzó su primer éxito en 1707 gracias a la pieza en un acto Crispin de Rival. El mismo año, una novela picaresca suya, Le Diable boîteux, inspirada en El diablo cojuelo, de Luis Vélez de Guevara, tuvo también un gran éxito. Entre 1712 y 1735 escribió un centenar de piezas más o menos buenas para el teatro de ópera cómica La Foire, entre las que cabe destacar Turcaret (1709), una comedia sobre un avaro enamoradizo. sin embargo, fue sin duda alguna Gil Blas de Santillane, publicada en 1715, la obra que le aseguró la celebridad. Se trata de una novela picaresca, progresivamente ampliada (4 volúmenes entre 1715 y 1735), que toma a mansalva inspiración del género español, especialmente del Marcos de Obregón de Vicente Espinel, y que se considera una de las obras maestras del género; aprovecha, como sus modelos españoles, para ofrecer una visión satírica de la sociedad francesa de su época. José Francisco de Isla la tradujo como Historia de Gil Blas de Santillana con un prólogo que denuncia el expolio de los clásicos españoles por parte del autor. Alain-René Lesage también vertió al francés, o más bien adaptó, el Quijote de Alonso Fernández de Avellaneda, cuyo texto modificó considerablemente, suprimiendo pasajes y episodios y agregando otros. Esta obra se publicó en París en 1704, en la imprenta de la viuda de Claude Barbin, con el título de Nuevas aventuras del admirable don Quijote de la Mancha, compuestas por el licenciado Alonso Fernández de Avellaneda, (Nouvelles Aventures de l'Admirable Don Quichotte de la Manche, composées par le licencié Alonso Fernández de Avellaneda). No tuvo demasiado éxito y no fue reimpresa sino hasta 1828. En 2008 se publicó la primera edición anotada de esta obra, a cargo del cervantista español David Álvarez. La novela Le Diable boîteux ha sido objeto de numerosas adaptaciones en forma de obras de teatro, ballets y películas.
アラン・レネ・ルサージュ Alain-Rene Lesage (1668年5月8日--1747年11月17日)
倫理感の欠如が劇作においても物語においてもルサージュの特色であり魅力ですが、これはルサージュの気楽なリアリズムの現われでしょう。信心深くなった晩年のルイ14世治下の堅苦しい偽善と、次に来た風紀の緩やかな摂政時代の気風が、スペイン伝来の悪漢小説の色彩で写し出されています。
ブレターニュの法律家の子でしたが、15歳で孤児となり、後見人に財産を奪われ、パリへ出て法律の勉強をするまでに、既に多くの雑多な仕事を経験していました。弁護士をするかたわら、初めギリシャ語の翻訳(アリステネーテス『雅な手紙』)をし、ついで、スペイン継承戦争のせいで流行となって来たスペイン劇を翻訳しました(フランシスコ・デ・ロハス及びローペ・デ・ベガの作品)。ロハスの『名誉心』の上演を実現したあと、自ら劇作を始め、1707年、フランス座の『主人と張り合うクリスパン』で 成功を収めました。既に4人の子持ちであり、年金も保護者もなく、また取り分けて思想も持たず、ルサージュは、当時類を見ない文筆業者としての生涯を始めました。同じ年、スペインのデ・ゲバラの作からヒントを得た物語『びっこの悪魔』で、乱れた世相をあからさまに描写しました。
2年後の1709年に上演された『チュレカレ』の主人公は収税請負人です。財政状態の悪化した晩年のルイ14世の政府を支えていた人種であり、その悪虐振りはよく知られていましたが、この作品の3幕7場は正に彼らがいかにして私服を肥やすかが語られています。作品の採用の段階から収税請負人たちはこの作を恐れ、俳優に運動した結果、上演は1年も遅れたてしまいました。成功にもかかわらず、公演は7回で打ち切られ、フランス座の俳優たちとは仲違いとなってしまいました。しかし、この作品の風刺は社会制度に向けられてはいず、1つの職業を攻撃しているにすぎません。全ての人物が悪党である この劇に、金銭が人聞を腐らせるのが見て取れるとしても、作者はその教訓を意識してはいません。何事にも、誰にも、絶望していません。
20年以上に渡ってルサージュを養ったのは、市(いち)の芝居小屋のために書いた約100編の劇であり、それらはもちろん後世には残りませんでした。一方、この問書き続けた『ジル・ブラス物語』(1715-35)は、スペインを舞台にしていますが、作者の体験が盛り込まれています。主人公がまるで無性格なので、これは恐るべき種々雑多な事件と人物の寄せ集めですが、すばやく適確な描写と、悪業を食事のような日常の行為と同列に細かく、皮肉な喜びをもって扱う点で、写実的な風俗小説を創始しています。ルサージュは他の文人と交わらず、貧困の内に暮らしましたが、79歳で亡くなったときに27歳で結婚した老妻に見守られていたのがルサージュの幸福ではないでしょうか。
『びっこの悪魔』 Diable boiteux (1707年) 題名も構想もスペインのデ・ゲバラの作品によるものです。瓶の中からびっこの悪魔を出してやった Alcalá de Henares アルカラの学生ドン・クレファスはお礼にマドリードのサン・サルバドール塔の上に連れて行かれ、悪魔はそこからマドリードの家々の屋根を剥がして人間生活の種々相を見せます。内容的には、スペインの種本よりも17世紀のラ・ブリュイエールの『人さまざま』の人間描写に近いものがあります。
『ジル・ブラス物語』Histoire de Gil Bias de Santillane (12巻、 1715年-1735年) 場面はスペインで、悪漢小説・ピカレスク小説の流れを汲んでいますが、種本は1634年に翻訳されたイタリヤ本と云われています。故郷を出て、サラマンカ大学へ向かう青年ジル・ブラス(スペイン語で云うとヒル・ブラス)は、身ぐるみ剥がれ、自らも盗賊仲間に入り、足を洗ってから15人ものさまざまな主人に仕えて世間の浮沈を経験し、遂に貴族になり、居城に引退して回顧録を書きます。平均的な人間で道徳心の薄い主人公を狂言回しに描かれる浮世の諸相は、フランスのものです。次の世紀まで続く大成功で、ボルテールの『カンディド』や、この作の翻訳が大流行となった英国で、小説に大きな影響を与えた傑作であります。
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