2013年5月23日木曜日

Atahualpa Yupanqui falleció アタウアルパ・ユパンキ歿 (1992年) フォルクローレ

アタウアルパ・ユパンキ(Atahualpa Yupanqui, 1908年1月31日 - 1992年5月23日

本名エクトル・ロベルト・チャベーロ(Héctor Roberto Chavero)、でアタウアルパ・ユパンキの名はインカ帝国歴代の皇帝2人のケチュア語の名をつなぎ合わせたものです。(意味は下記スペイン語を参照してください。) アルゼンチンはブエノス・アイレス州 Pergamino ペルガミーノで鉄道員の家庭に生まれ、のち父親の転勤によって北西部のトゥクマンに移りました。父はケチュア系先住民の血を受け継ぎ、母親はバスク系移民でした。

1929年、処女作「インディオの小径」(Caminito del indio)でデビューし、1930-40年代に多くの作品を発表しますが、その活動が反政府的と目されて1950年代初頭にはヨーロッパへの亡命を余儀なくされたこともあります。その後アルゼンチンに帰国しましたが、後年には再び生活の拠点を海外(フランス)に移し、死の直前まで世界各国で演奏活動を行っていました。左利きでしたが、特に左利き用のギターは使わず、ジミー・ヘンドリックスのように右利き用のギターに逆さまに弦を張り、演奏していました。

1964年、1966年、1967年、1976年の4回来日公演を行っています。

Atahualpa Yupanqui (en quechua, el que viene de lejanas tierras para decir algo), seudónimo de Héctor Roberto Chavero Aramburu (Juan A. de la Peña, partido de Pergamino, Argentina, 31 de enero de 1908 – Nîmes, Francia, 23 de mayo de 1992) fue un cantautor, guitarrista, poeta y escritor argentino.

Se le considera el más importante músico argentino de folclore. Sus composiciones han sido cantadas por reconocidos intérpretes, como Los Tucu Tucu, Los Chalchaleros, Mercedes Sosa, Alberto Cortez, Pedro Aznar, Horacio Guarany, Jorge Cafrune, Alfredo Zitarrosa, José Larralde, Víctor Jara, Ángel Parra, Jairo, Andrés Calamaro, Divididos, Marie Laforêt, Mikel Laboa, Soledad Pastorutti, Federico Pecchia y Enrique Bunbury entre muchos otros, y siguen formando parte del repertorio de innumerables artistas, en Argentina y en distintas partes del mundo. En 1986 Francia lo condecoró como Caballero de la Orden de las Artes y las Letras.


次は日本のソンコ・マージュによるものです。



最後は再び Atahualpa Yupanqui で スペイン語歌詞付きです。





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