2013年2月27日水曜日

John Steinbeck nació ジョン・スタインベック生まれる(1902年)

111年前の今日(1902年2月27日)、米国のノーベル賞作家 John *Ernst Steinbeck が カリフォルニア州モントレー郡の Salinas に生まれました。

* Hemingway のような Ernest ではなく、Ernst です。ドイツ系なのです。
p.d. Steinbeck の 前半分 stein も stone の ドイツ語形です。「石川」さんといったところでしょうか。

父は郡の収入役,母は元小学校教師でした。Su padre, John Steinbeck (1863-1935), era tesorero; su madre, Olivia Hamilton (1867-1934), maestra. 姉二人、妹一人の長男でありました。Tuvo tres hermanas.

次の foto は7歳の頃のもの、前に跨っているのは 妹の Mary です。



サリーナス高等学校を卒業していますが、幼い頃からドストエフスキー『罪と罰』、ミルトン『失楽園』、マロリー『アーサー王の死』などを読み耽る文学好きの少年であり、学級委員も勤めていたそうです。高校卒業後一時砂糖工場で働きました。
1920年、スタンフォード大学入 学しました。Estudió en la Universidad de Stanford pero nunca se graduó.1921年度は授業を全休し、牧場や道路工事、砂糖工場などで様々な労働を経験しました。Desempeñó distintos oficios, entre ellos el de trabajador durante la construcción del Madison Square Garden. この時の経験がのちの彼の作品の世界観に現れていったようです。
1925 年、海洋生物学を学んだのちスタンフォード大学を学位を取らずに退学、「ニューヨーク・アメリカン」紙の記者となりましたが成功せず、その後帰郷し、3年間山小屋やマス孵化場などで働きながら創作に励みました。En 1925 se marchó a Nueva York, donde trabajó como freelance para el New York American, pero fue despedido. El resultado de esta experiencia sería el ensayo Making of a New Yorker publicado en 1946 en The New York Times. Regresó a California un año después y trabajó de guía turístico en el acuario de peces de Tahoe City, donde conoció a Carol Henning, su primera esposa.
1929年、 17世紀の海賊へンリー・モーガンの一生を措いた歴史ロマンス『金の杯』Cup of Gold という処女作を発表しましたが,売れ行きは芳しくありませんでした。後に 誇り高き Steinbeck は自ら この処女作を駄作と呼んでいます。En 1929 escribió su primera novela, La Copa de Oro (Cup of gold: A life of Sir Henry Morgan, Buccaneer, with Ocasional Reference to History), una historia de ficción histórica basada en la vida de Henry Morgan, que no tuvo éxito.
1930年に最初の妻キャロル・へニングと結婚しました。En enero de 1930 se casó con Carol Henning y se trasladó a Pacific Grove.
Allí conoció a Edward Ricketts, un marino biólogo, con quien mantuvo una gran amistad. この頃 モントレーの生物学者エド・リケッツと交際するようになり、生物学的人間観と非目的論的思考を知りました。非自的論的思考は因果律を重視せず、物事をありのままに眺めるという思考方法で、Steinbeck の文学に深い影響を与えました。
第2作以後,作品の舞台を生まれ故郷のサリーナスに移し、シャーウッド.・アンダーソンの影響を受け挿話的手法で風変わりな村人の生活を描く『天の牧場』 The Pastures of Heaven (1932年)、雨乞いのため自らの命を神に捧げる農夫を主人公にした神秘主義的小説『見知らぬ神へ』 To a God Unknown (1933年)、『赤い小馬』(同1933年)等を発表しました。En 1932 publicó The Pastures of Heaven, un conjunto de historias situadas en la ciudad de Monterrey. Al año siguiente publicó The Red Pony y To a God Unknown. 
1934年4月短編作品『殺人』The Murder が O・ヘンリー賞を受賞しました。
1935年1月にはアムニージア・グラスコックの筆名で「モントレー・ビーコン」誌に詩八編 を発表しています。
同年5月にはアーサー王物語を下敷きにしてモントレーに住む paisanoと呼ばれる混血メキシコ人の生態をユーモラスに描き商業文明を批判した『トルティージャ平』 Tortilla Flat によって作家としての地位を確立しました。(カリフォルニア・コモンウェルス・クラブから金メダルを受賞した上、同作品の映画化権料を手に入れています。) En 1935 escribió Tortilla Flat, novela por el cual recibió su primer premio literario, "La Medalla de Oro", galardón concedido por el Commonwealth Club of California a la mejor novela escrita por un californiano. Con este compendio de historias humorísticas, Steinbeck obtuvo cierto éxito.
しかし、1930年代の大不況期にあって,しだいに社会的関心を強め,共産党のオルグが指導する果樹園のストライキを扱った『勝敗のわからぬ戦い』 In Dubious Battle (1936年)、労働者の友情と夢の挫折を描いた名作 *『二十日ねずみと人間』 Of Mice and Men (1937年)を発表しました。(後者はジョージ・コーフマンに よって、ニューヨーク劇評家協会賞を獲得しました。)1937年には『長い谷間』The Long Valley を発表しました。この頃から注目を集め始めました。En In Dubious Battle (1936) y De ratones y hombres (1937), Steinbeck realiza un retrato de la clase trabajadora durante la Gran Depresión. En De ratones y hombres se narra la vida y sueños de dos trabajadores que van de un sitio a otro en California buscando trabajo en granjas. Esta obra tuvo un gran éxito entre la crítica y Steinbeck fue galardonado con el New York Drama Critics Award. La novela fue llevada al teatro, donde también gozó de gran popularidad. En los años siguientes, Steinbeck escribió dos obras de teatro: The Long Valley (1937) y Their Blood is Strong (1938).

*この名作には、フランク・ノリスの『死の谷』からの盗用があるとF.S. フィッツジェラルドが非難しています。John Steinbeck - CATE ) "F. Scott Fitzgerald attacked the work (Of Mice and Men) for containing a scene which he contended was "cribbed" from Frank Norris' McTeague."

このころ 地元の「サンフランシスコ・ニューズ」誌の依頼を受け、カリフォルニアに移住してきたオクラホマ農民の惨状を連載しましたが、その体験をもとに1939年4月、大旱魃と耕作機械によって土地を奪われた農民たちのカリフォルニアへの旅を描いた壮大な作品『怒りの葡萄』The Grapes of Wrath を出版しました。作品は賛否両論を引き起こしました。1940年、The Grapes of Wrath がピューリッツァー賞、全米図書賞を受賞しました。 同作品はヘンリー・フォンダが主演を務め、7万5000ドルの映画化権料で映画化され、2つのオスカーを獲得しました。この作品で Steinbeck は一躍その名声を不動のものとしたのです。En 1939 publicó Las uvas de la ira, considerada su mejor obra. Basada en artículos periodísticos que había escrito él mismo en San Francisco, está considerada por muchos como su obra más lograda. En 1940, recibió el premio Pulitzer pero su éxito no estuvo libre de controversia: las ideas políticas de Steinbeck, crítico con el capitalismo y a favor de las reformas llevadas a cabo por Franklin D. Roosevelt con el New Deal para favorecer a la clase trabajadora, le conllevaron la condena del sector tradicionalista, sobre todo en su propio estado.



The Grapes of Wrath 発表の翌年、1940年に生物学者エド・リケッツと共にカリフォルニア湾へ生物採集旅行に出かけ、航海日誌『コルテスの海』 The Log from the Sea of Cortez、メキシコの無医村を扱った映画シナリオ付き写真集などを出しました。En 1940, Steinbeck se embarca en una expedición alrededor del Golfo de California junto a su amigo el biólogo Ed Ricketts. Las experiencias vividas durante esta expedición las recoge Steinbeck en su obra The Log from the Sea of Cortez
第二次世界大戦中の1942年3月には反ナチズム小説『月は沈みぬ』The Moon Is Down を出版しています。独裁国に対するノルウェー市民の抵抗を書き、ノルウェー国王から勲章を授けられました。(ナチスに対抗するパリのレ ジスタンスから1944年、『闇夜』の名前で刊行されました。)同1942年には、「ニューヨーク・へラルド・トリビューン」紙の従軍記者としてヨーロッパ、アフリカに行き、更には米空軍の依頼により、その米空軍の実体を国民に宣伝する『爆弾投下』The Bomb Away というルポルタージュを発表しています。
Carol Hening, la esposa de Steinbeck, los acompañó en el viaje; sin embargo, la relación matrimonial comenzó a deteriorarse y la pareja terminó divorciándose en 1942. 同1942 年にはキャロル・へニングと離婚、翌1943年、女優 Gwyndolyn "Gwyn" Conger と結婚し二人の息子を設けました。Ese mismo año, Steinbeck se casó con Gwyndolyn "Gwyn" Conger, con quien tuvo dos hijos: Thomas Steinbeck y John Steinbeck IV.
第二次世界大戦後は現代風俗を風刺した『気まぐれパス』 The Wayward Bus (1947年)、物欲のために不幸になるメキシコ人漁師の悲劇を語った寓話『真珠j] The Pearl (同1947年)、写真家ロパート・キャパとソ連政府に招 待された時の旅行記『ソヴィエト紀行』 A Russian Journal (1948年)、種族保存の立場から姦通を肯定的に 扱った劇小説 Burning Bright (1950年) など技法・文体上の実験を続けましたが、再び『怒りのぶどう』のようなスケールの大きい社会小説を期待する批評家からは十分な評価を得られませんでした。
1950年にはエレーヌ・スコッ卜と結婚しています。
1952年、聖書の物語と南北戦争から第一次大戦までの時代を背景に、カリフォルニアに住む2つの家族の歴史をたどり、原罪に新解釈を試み、自由意志を認め、悪に対する善の勝利をうたった意欲的大作『エデンの東』East of Eden を発表しました。戦前から構想を温めてきたものでした。5年後この作品も、エリア・カザンによって映画化されました。主演のジェームズ・ディーンの演技が話題を呼び、大ヒットを記録しました。En 1952 publicó Al este del Edén, que sería llevada al cine por Elia Kazan y cuyo protagonista sería el malogrado James Dean. Está considerada una de sus obras más importantes y fue la favorita del propio autor. Narra la historia de dos familias, los Trasks y los Hamilton, en el periodo que va desde el fin de la Guerra de Secesión hasta la Primera Guerra Mundial. El relato está concebido como una monumental alegoría sobre el problema del libre albedrío y la predestinación en relación al Mal.

次の foto は Elia Kazan 監督とのものです。



1954年に発表した(『キャナリー・ロー』の続編)『楽しき木曜日』 Sweet Thursday は「白昼夢」として翌1955年にオスカー・ハマスタイン2世とリチヤード・ロジャーズによってミュージカル化されましたが、不評で、僅か13回の公演で打ち切られてしまいました。フランスの政情不安を風刺した『ピピン4世の短い治世』The Short Reign of Pippin IV (1957年)ののち、作品 の舞台を初めて東部に移し、戦後アメリカ合州国の文化的、道徳的混乱を描き、アメリカ合州国の理想を追求した『我らが不満の冬』 The Winter of Our Discontent (1961年)によって、翌1962年にノーベル文学賞を受賞しました。John Steinbeck recibió el premio Nobel de Literatura en 1962. しかし、国内の批評家からの評価は必ずしも芳しくなく、晩年の生活は決して恵まれたものではなかったとも云われています。
愛犬との国内探訪記『チャーリーとの旅』Travels with Charley in Search of America (1962年)、アメリカ文明論『アメリカとアメリカ人J America and Americans (1966年)を発表し、「ニューズ デー」紙の特派員としてヨーロッパ、中近東を旅し、ベトナム戦争に従軍するなどジャーナリズムの話題を賑わしました。その一方、少年時代から関心を抱いていたアーサー王物語の現代語訳を試みましたが、未完に終わり、遺稿が『アーサー王と気高き騎士たちの事蹟J The Acts of King Arthur and His Noble Knights (1976年)として出版されました。 
1968年12月20日、ニューヨークで心臓発作をおこして死亡しました。享年66歳でした。Murió el 20 de diciembre de 1968 en Nueva York.

A lo largo de su vida, Steinbeck usó el símbolo Pigasus (de pig, cerdo en inglés y Pegasus), un cerdo volador, «atado a la tierra pero aspirando a volar».

スタインベックは短編作家としても優れ、人妻の微妙な心理を描いた傑作「菊」The Chrysanthemum、女性の抑圧された性を扱った「蛇」The Snake、前述の The Murder、西部の自然の中で成長していく少年を描 く、自伝的な「赤い小馬」 The Red Pony 4部作など15編からなる『長い谷間』 The Long Valley (1938年)があります。
書簡集としては没後『ある小説の日記』Journal of a Novel: The East of Eden Letters (1969年) と『スタインベック書簡集』 Steinbeck: A Life in Letters (1975年)、『エリザベスへの手紙』 Letters to Elisabeth (1978年)が出版されています。
代表作はほとんど映画化さ れていますが、映画脚本としては20世紀フォックス社から1952年に公開された『サパタ万歳』 Viva Zapata! (1975年)があります。 拙ブログでは本稿最後に その trailer video を付すこととしました。


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